成ル・巖・氣ウラ・ハワイIzakayaNaruのエイジアキッチンオフィシャルサイト。日本の居酒屋文化をエイジアから世界へ!
エイジアから世界へ
エイジアンヒストリー
二番手で終りたくなかったので独立を決意
私はこの商売しかしたことがないんです。
高校 1 年の 11 月にこの世界にはいりました。
母と兄の3人家族で、母親が都内(世田谷区祖師谷大蔵)でスナックをやっていたんですが、私が 16 才の時に、スナックの近くに空き物件があって居酒屋を始めることになったんです。とにかく人手が足りないから洗い物だけでもやりなさいといわれて…。もう 20 年になりますが、気づいたら今に至るという感じですね。
高校卒業と同時に社員になって、 27 才まで働いていました。
独立しようと思ったのは、やるからには、自分のやり方がどこまで通用するか、自分の考えでやっていきたいという思いがすごく強かったので独立を決心しました。
海外出店を目指していきなり無謀な行動に
会社を辞めて独立しても、すぐに出店したわけではなく、飛んでもなく無謀な行動に出てしまいました。実は、アメリカにお店を出そうと思って、いきなり渡米したんです。
その時に、サンディエゴのある寿司職人さんに出会い、色々とご相談を聞いていただいた結果、その方が、「お店をやって成功する自信があるなら、日本に一回帰りなさい。日本で繁盛店を作って資本を作って、コネクションを作って、日本で2~3軒やってから来ればいいじゃない」と言ってくださったんです。そして、「何でも教えてあげるから、アメリカに出店するときは、いつでも質問に来なさい」と言ってくださいました。
その方は今でもサンディエゴでお店をやられています。
帰国から5ヶ月後には渋谷に居酒屋を出店
その寿司職人の方と出会ったのが98 年 8 月で、翌年 1 月に渋谷に「成ル」を出店していました。 28 才の時です。
自己資金 1000 万円では、渋谷に出店するのは難しいですから、公庫から 1000 万円を借り入れて、親から 500 万円を借りました。 2500 万円で何とかこぎつけました。
今見れば、変えたいところはたくさんありますが、当時思い描いたものに近い店はできたように思います。一番気を付けたのは、空間に関して自然のものを使うこと。その時はまだ、頭の中にアメリカがありましたから(笑)、日本らしさを強く意識したものをやりたかった。外国人のお客さんがきて、これがジャパニーズスタイルだと思ってもらえるような店です。
料理に関しても、イタリアンや中華の食材でも和を感じられるような工夫をしましたね。
飲食店の基本は、人に魅力を感じてもらうこと。
いくら渋谷でもそう簡単にはお客さんを呼べませんでした。オープン 3 ヶ月位は、1日に数人だけという状況もよくありました。
その頃、大事にしていた事は、お客様は働く人が呼ぶものだということです。
自分が接客して自分のことを覚えてくれて、そのお客さんがまた知り合いを連れてくるということです。
そのうち、雑誌の取材が来たりするようになりました。テレビの取材が来たこともありましたね。居酒屋の先輩達からは、「メディア王」なんてバカにされたりしますが(笑)。
会社存続にも影響するような大失敗。原因は背伸び!?
1店目のオープンから 1 年半後、 2000 年 7 月に同じ渋谷に「巖」を出店しました。
「巖」は 80 席の店舗ですが、売上が月 1000 万円に達することもあって、オープンの翌々月から利益が出るほど好調でした。 1 店目の「成ル」も順調で、ドンドン利益が出たんですが、それで調子に乗って大失敗をしてしまいました。
「巖」の 1 年半後に渋谷と青山の間くらいにある新築ビルに 3 店目をオープンしました。創作料理をレストランスタイルで出すという店で、少しアッパーな感じ。ディナーで 5000 円位ですかね。昼にランチ、夕方からはディナー、さらに深夜から朝まで飲めるという営業でしたが、今にして思えば本当に中途半端な店だった。
身の丈に合わないことをしてしまいました。私は、新しい挑戦と言ってましたけど、典型的な失敗店を作る挑戦でしたね。
毎月毎月ほとんど赤字で、普通であれば、半年から 1 年でクローズするとか、業態変更するという決断をしなければいけなかったのに、そのまま 2 年近く引っ張ってしまった。でも、その店が、私の人生をまっとうな方向に戻してくれました(笑)。
その2年後の 03 年 3 月に三軒茶屋で出店した「三茶氣」は、本当にお金を掛けなかったですね。居酒屋の居抜きで、自分たちで内装用に和紙を貼ったりと原点に戻りました。客単価は、これまでより安い 2000 円台後半。「成ル」と「巖」は、 3800 ~ 3900 円位です。
肩が凝らないというか、やはり、失敗した店では背伸びをしていたんでしょうね。働いているスタッフの顔を見ると表情が違うんです。明るいんです。なぜかというと、私の表情が切羽詰まっていたからでしょうね。
06年12月には、同じく三軒茶屋の居抜き物件に「三汁伍番」を出店しました。今までで一番小さい 7.3 坪 12 席の店ですが、ここは、うちから独立を目指す人の練習の場です。裏路地にあるので、自分でお客さんを呼べなかったら、絶対に人が来ない。そこでお客さんに来てもらえるようになれば、自信になると思います。
やはり、自分でできること以外はやっちゃいけないんでしょうね。背伸びは禁物。等身大の自分でやらなきゃダメなんだと思います。
仲間を作り、人を大切にすることが飲食店経営には大切です
4店目を出したいま、私の頭の中には、若い頃に無謀だったアメリカ出店が現実的に見えてきています。
いろいろな方にお会いしたり、コネクションを作ってと準備は進めてきました。最初は、西海岸でカリフォルニアにしようかなと考えていたのですが、ハワイで日本の方がオープンしたレストランでフード商品開発のコンサルタントをやらせてもらったこともあって、私もハワイに出店する予定です。
これから起業を目指す皆さんも「仲間を持つこと」を強く意識してほしいです。ひとりでは絶対にダメだと思います。一人だけで営業するにしても、厳しい意見を言ってくれる先輩、応援してくれる後輩、信頼できる取引先を含めて、仲間を持たないといけないんです。それが一番大事なことだし、起業する前からできることですからね。
私が今までやってこられたのも、スタッフはもちろん、周りにいる先輩後輩、家族に支えられた結果です。お客さんをはじめ、人を大事にする気持ちを絶対に忘れないでください。
エイジアキッチン代表取締役 吉﨑英司